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単勝馬体派の二人からの核心を衝くコメントです。うーん、さすが! そもそもこの一連のエントリーは、僕自身が、治郎丸さん、エノさん、でぃらんさ んが単勝という馬券種を選択している、その思想的・哲学的根拠について、この1年間自分なりに咀嚼してきたことをまとめようと思ったのがきっかけで書き始 めたのでした。そして、それをとっかかりにして、僕自身が馬券に対してどう向き合うかを考えたいと思ったのです。

馬券種の多様化が競馬熱が冷めていったこととどれくらい密接に結びついているのか。これについては推測の域を出ないのですが、「競馬が熱 かったあの頃」、現在ほど馬券種が多様でなかった(=揺らぎを極力排除した中での単純な馬券が中心であった)ことで、また、ipatで手軽に馬券を購入す ることもできなかった時代性も相まって、間違いなく、当時の競馬ファンが馬券に込める想いというのは、相対的に強く激しいものだったと思います。しかし、 馬券の売り上げはどんどん落ち込んでいった。こうした現状に対して、JRAが馬券種を多様化させることで対応したという側面もあったはずです。ということ は、馬券種の多様化が競馬熱を冷却したというよりも、これはもう、経済学的あるいは社会学的には説明し得るであろう外的な要因のほうが遥かに大きいと思う んですよね。(競馬予想サイト

 

一方で、馬券種の多様化が競馬ファンのメンタリティを変容させているのも間違いないと思います。1999年にワイド(拡大馬連)が、 2002年には馬単と同時に3連複(3連勝複式)が、そして、2004年に3連単(3連勝単式)が導入されました。とりわけ3連系馬券の導入は、その破壊 力において一獲千金を狙えるぞ!という高配当の演出によって、馬券の売り上げにつなげようという意図がJRAにはあったはずです。3連系馬券の登場によ り、揺らぎに頼った馬券の可能性が広がった。こうした流れのなかで、往年の競馬ファンがライトユーザー化したのか、新しい競馬ファンがライトユーザーとし て参入したのか定かではありませんが、競走馬の個々をしっかり見る正統派の視点からは、ライトユーザーが競走馬「個々」を見る妨げになっている側面はやは りあるように思えますね(ただし、競走馬の個々を精査した上で3連系馬券を巧みに操る人もたくさんいます)。

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